CALENDAR

« 2008.12 »
S M T W T F S
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

最近の記事

カテゴリー

最近のコメント

月別アーカイブ

金魚clock

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

FC2カウンター

夢ーみん庭日録
せっせとお庭をつくります。 さてさて  今日はどんな一日になるのでしょう

スポンサーサイト

--.--
--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ブロッコリー 生育の違い

12.19
Fri
CA390070.jpg


CA390071.jpg




CA390076.jpg




CA390077.jpg



同じ時に苗やさんで買ってきたブロッコリ-。
一番大きいのは25㎝。小さいのはまだ蕾も出来ていない。
木陰の合間の畑だから条件が違うので、試しにあちこちわざと場所を変えてみたのだが、こんなに違うとは。日照も土の条件も大きく違うのだなぁ。

来年の作物の参考にしよう。

小さなブロッコリーはでも元気。
ゆっくり大きくなれば時間差でいただける。
自然農法の負け惜しみと違うよ。^^

キャベツいろいろ

12.19
Fri
キャベツの生育もずいぶん違う。


CA390073.jpg


CA390074.jpg


CA390075.jpg



まかないキャベツでもいい、ジュースにするし。
まけおしみちゃう。^^

元脱走兵

12.19
Fri
P1030042.jpg


六ヶ所村ラプソディを見に行ったあと、ほんやら洞へ。
甲斐さんに、会場で高木仁三郎の親族の人から声をかけられたのよって早速報告。
上映の始まる前に隣の人となにげに喋っていたら、その人が「こんなこというのも何だと思ったのですが、あなたにお話ししたくなりました。」と。
嬉しかったです。つたないながら高木仁三郎さんへの敬意をお伝えしたり。

こういう話は甲斐さんに話すのがぴったり。


さてほんやら洞は以前来たときより心なし、綺麗になっていました。
お客さんは村上春樹の翻訳者と外国人の画家と。



前は気にならなかったこの写真が気になり、甲斐さんに説明して貰いました。
ベトナム戦争当時日本で脱走し、ヨーロッパに渡って脱走が成功した米兵。その脱走兵はのちにアメリカに帰り刑に服したあと日本を再訪。
そしてほんやら洞を訪れ鶴見俊輔と再会している写真だそうな。

お礼参りやね。違う?^^

貧乏子沢山

12.19
Fri
辛淑玉(しんすご)さんの講演会に行く。
こんな小さな町にいて、彼女の話を今まで2回も聞けるなんてありがたいですね。


「貧乏子沢山」
この言葉から何を想像するかと辛淑玉は聴衆に問う。
「はい、そこのあなた」と会場を和ませながら、一人づつに問いかけるように当てていく。
ちなみに私は前回も今回も当てられました。
ちょっと嬉しいかな^^

当てられた人たちが答えたものは、曖昧なものばかりだったが、辛淑玉はこう云ったんだ。
「私が想像するのは、性暴力。
貧乏で苦しい生活をしている女性に沢山子供が欲しいかと聞き、欲しいと言った女性は一人もいない。」
そして、「男性に性的行為の時に痛み苦しみを感じたことがあるかと聞いて、あると答えた人は一人もいない」と。


秋葉原事件の時、犯人はどういう奴だ、動機は何だと騒ぎ立つ。
最初の情報、暴力団。次、覚醒剤中毒。違う違う。
次、精神障害者。それもちがった。ではなんだ。
マスコミの流す情報は犯人像を暴かなければ落ち着かない社会不安と相乗し、矢継ぎ早に情報を垂れ流した。結果はトヨタ子会社の期間工。だが分析の落ち着いたところは、母親の問題。
普通の小さな男の子が幼稚園から学校をへて大人になった写真を見せながら、最後マスコミの取材に母親が土下座をしている写真で終わり、辛淑玉は云う。
問われるべきは「トヨタ」ではないのか。力の強いものではなく、一番弱い母親に向かったのだと。


こんな事は滅多にない珍しいことだと思うが、この日辛淑玉は講演後半に入って、声を詰まらせ、うつむいて涙をこらえる場面があった。私は思わず口から「すごさん」と小さな声が出てしまった。
だからこそ彼女の闘いは本物だと誰もが受け取ったことだと思う。


講演終了後外でばったり出会い、簡単なご挨拶だけする。
辛淑玉さんはまだ目に涙をにじませ、繊細な心が風で揺らぐ枝を長くいくつも持つ柳の木のようだった。







35年前の約束 放射性物質放出せぬ

12.02
Tue
1973年水俣病裁判での画期的な判決を受け当時の科学技術庁長官・原子力委員l会委員長は、これから建設される核燃料再処理工場の環境への放射性物質排出はゼロにすると約束しました。

・これは「従来の許容量以下なら放出してもよい」という考えを捨てて「環境汚染をゼロにするよう全力を尽くす」との方針を打ち出したもので、今後各地に建設される民間ベースの再処理工場や、すでに運転中の原子力発電所など関連施設に及ぼす影響もおおきいとみられ、原子力の安全性に関する最大級の政策転換として注目される。 朝日新聞 1973年(昭和48年)3月31日



この約束は破られ、2009年2月から大量に放射性物質を出す六カ所再処理工場が本格稼働しようとしています。
73年の新聞記事は、夢の核燃料サイクルシステム構想の断片がまだ残っていた時代に、この科学技術庁長官の方針を大きく報じている。世界の公害の原点水俣病の作り出した大きな影響だと云えるだろう。以降、環境基準値が定まり行政チェックが始まるきっかけともなった。行政の公害課が環境課と名称を変更し、公害という言葉を使わないようにするキャンペーンが密やかに進行し始めたともいえる時代でもあったが。

今世界で核燃料サイクルシステムを国のエネルギー施策の一番に位置づける国はどこにもないどころか、稼働中を廃棄、建設を中止、計画を白紙にする国が相次ぎ、今多くの問題を抱えながらと言う状態で辛うじて稼動しているのはイギリス、フランスのみ。そこで作られるプルトニュームは市場価格が成立しない、つまり使いようのない売れ残りがストックされるのみの状態でしかない。


日経新聞記者の記事

プロの視点

以下抜粋。

-----------------------------------------------------------
「国の意志を明示せよ」

 米国が再処理を放棄したのは経済性の点からではない。経済性より核不拡散防止の観点を重視したからだ。電力会社自らが直接処分を選択したわけではなくて、国家として直接処分を選んだだけである。その意味で、再処理を選ぶか、直接処分を選ぶかは国家としての意志でしかない。

 核燃料再処理をめぐる原子力委員会の議論は終盤に入っている。経済性の試算結果をもとに委員会は再処理路線維持で幕引きを図ろうともしている。しかし、再処理路線を継続するなら「政策変更コスト」という奇妙な費用を前提にせずに、明確な理由を明らかにする必要がある。それはとりもなおさず、将来をにらんだ国家としての意志の明示であるだろう。国内的にも対外的にも筋の通った説明ができないと、再処理路線の継続はいくどとなく正当性を問われることになる。

-----------------------------------------------------------------




「六ヶ所村ラプソディ」を見てきました。
過疎の村、豊かな自然、貴重な資源。
体を張って、海への排出口建設を止める老漁師たち。
そうやって出来た再処理工場に働く人たち。
もう汚染されているかも知れないと消費者に告げる、農業を営む女性。
「あの時もっと日本中の人たちが手を貸してくれていたら」と振り返る漁師の妻。


なんでいっつもいっつもこういう場所で、こういう人たちを踏みにじるようなことが起こっているのか。なんでそれをいつも知らぬ顔ですごせているのか。


呆れ果てるレベルの国のエネルギー施策として、
電力会社の寄せ集め「電気事業連合会」の、このすべて破綻しているシステム技術は、私たちの税金と電気料金が巨額に投資されている。


今年本格稼働を予定していた六カ所再処理工場はガラス固化体行程という肝心かなめの行程の技術が確立すらしていなかった事が判明。炉の中を棒でかき回さなければならなくなったが、その棒を挿入する窓が開かないというどうしようもない事態で膠着している。
ものがものだけに、深刻な状況のまま年を越すことになった。

再処理されたプルとニュームを使う高速増殖炉計画、プルサーマル計画とも未だ実現できる見通しどころか、試運転中の事故さえ起こしいつ出来るかわからない状態。



これだけ経済を優先する社会がなぜこのばかげた経済破綻を突出させたままでいるのか?
わからん。

FC2Ad

FC2 / hty

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。