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夢ーみん庭日録
せっせとお庭をつくります。 さてさて  今日はどんな一日になるのでしょう

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「波頭・ゆんたく・オヤケアカハチ」

06.02
Mon
島の中を自転車でビュンビュン走り回りました。
サンゴの岩石が飛び出た原野、サトウキビ畑、八重山特有のサンゴの石垣に囲まれた家並み。人口600人の島はめったに人とも会わず、ひっそりと慎ましく受け入れる佇まいです。
島を巡る道はどの道も辿り付く所は海。




海は雄弁。



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宿前のニシハマでシュノーケル。

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夜はmisokoさん宅にお呼ばれ。
サトウキビ畑にまいたクローバーの種の余りをおすそ分けしてもらいました。
ちょうど、不耕起農法で使うのがクローバーの種でした。
うちの畑にまいて芽が出たら写真にとって送りましょう。
島の住人とゆっくりお話できて本当に嬉しかったです。
ありがとうございました。



島の伝説の英雄、オヤケアカハチのTシャツを着た次男のユキオさん。
そのTシャツを写真に撮らせてと頼むと、
「え~?Tシャツ?僕じゃないの?」って。(笑)↓



P1020549.jpg




オヤケアカハチは琉球王朝から、八重山諸島の統一独立の旗上げをした反乱軍の頭です。敗退、処刑されたものの、英雄として語り継がれ、波照間はその生誕の地であるとか。



コルネリウスアウエハント著「波照間:南琉球の島興文化における社会」によると、琉球王朝による八重山諸島への支配は過酷であり、1500年代初頭には人頭税が課せられ、薩摩支配下を経て、明治初頭まで続いたとあります。
人頭税は島の収穫の8割に相当し、それを貨幣に換算して上納するというもので、不足分は荷役など、重労働に置き換えられていたとのことです。
また人頭税の人数に対する課税に加え、漁をする船、網にまで課税されており、全ては琉球王朝からの預かり物であるという支配体系下での生活。それが1900年初頭まで続いていたという歴史に唖然とするほかなし。
その歴史の事実の下地が、大正時代に大阪東京で「琉球人、アイヌ人、朝鮮人」を檻に入れて「人類博覧会」を開催した時代に繋がるのですね。




過酷な人頭税支配を逃れて、村ごとソックリと台湾に移住した跡もありました。今も台湾の原住民の中に、波照間の言葉によく似た言語を話す部族がいるそうです。
波照間の言葉、波照間語は日・琉語族の特異に分岐した、極めて重要な言語であるらしく、沖縄、他の八重山の言葉とも違うものであったとのことですが、この言語の信頼にたる言語学的解説はまだ発表されていないと、コルネリウスアウエハント氏は著書の中に記します。
奈良時代の日本語との比較を誘うような特定の要素が残っている事実があるが、(中略)空間的奥行きや時間差はこうした孤立した島興群で重要な意味を持っていた。(中略)全体として、言語学的問題についていまだほとんど注意がはらわれていないのは明らかであろう。
と、アウエハント氏の悔しさが伝わる著述です。


1965年当時より、全琉的な「日本復帰運動」のために、少なくとも学校では日本語標準語の使用が協力に推し進められて以降、現在島文化の独自性に関心が払われるようにはなってきているが、しかし、日常語でも殆ど使われなくなったようです。




コルネリウス・アウエハント氏はオランダの文化人類学者で、柳田国男の薫陶を受けた直弟子という学者です。彼は文化人類学者として波照間に滞在し学術的テーマ以上に、この島に魅了され、妻の静子さんと共に長く深い交流を持ち続けたのでした。
今、静子さんはオランダの寡婦年金をもち、オランダと那覇を行ったりきたりしています。
静子さんはこの島の案内としてミチコさんを紹介してくださり、また彼女の実家が偶然にも私の家の近所というよしみでもあります。静子さんとミチコさんに感謝。




そうそう、種子島にポルトガル人が来たことは教科書にも載っていますが、それより前にポルトガル人が寄港してそのまま住み着き、一族を形成した歴史もあるのだとか。
潮流の流れから行くと、まさに玄関口でもあるんですね。
孤立した島ですから子孫をふやすために、島の外からの人を歓迎したとかも。
アウエハウント氏の妻の静子さんに島の長老が、「島の為にあなたに目を瞑ってもらって許可してもらえないだろうか?」とお願いされた事があるそうです。
オランダ人のアウエハント氏の子供を何人かの女性に産ませて欲しいと。



結果?島にはオランダ人ぽい人はいなかったよ。
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comment

海の色がなんともいえません。目の前にたつと言葉を失いそうです。

言葉を失うと文化は滅びるといいます。
クルドもケチュアもあぶない時期がありました。
文化を残して行くためには、ぜひ言葉を大切にしてほしいですよね。

chappi-chappi さん、
なんともいえない海でした。
やっぱ、瀬戸内海とはちがう。^^
大きな海の波は白くて綺麗でしたが、その波の力強さといったら!
浮いてるだけで酔いました。


言葉はそこでアート、芸能の中に残るんですね。
八重山の民謡は独特の響き、その響きにのせて波照間の言葉は受け継がれているようです。

でもやっぱりちょっとさみしいね。

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