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夢ーみん庭日録
せっせとお庭をつくります。 さてさて  今日はどんな一日になるのでしょう

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2008夏至・佐々木さんと水俣の日

07.21
Mon


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佐々木康哲への霊前にカサブランカを捧げよう。
二階の窓辺にも香りが届く今年のカサブランカは佐々木さんの為に咲いた花だ。
華やかな色彩の花びらを持つ花よりも、香りの立ち上るこのカサブランカの方が、彼の元に届きそうな気がする。



趙博のファン同士のお付き合いはまだ三年足らず。
佐々木さんのことを何も知らないままだったなぁと、素晴らしい弔辞の数々を見て思う。
阪神大震災の時、市民議員立法の時、トルコ地震の時、金万里や小田実との事などなど。
話の端々に垣間見えることはあっても、そのことよりもまず先に話をすることが多すぎた。
免疫力や入所中(入院中)、退所後(退院後)の過ごし方、病の解釈。死後の世界のこと。



でも、「佐々木さん、眉と眉の間にしわを作らないで」なんて、つい、偉そうにしていたのが恥ずかしいよ。佐々木さん、失礼しました。^^


お通夜に参加して焼香の時、遺影から「わっはっは」と聞こえてきた(と思った)のには、びっくりしたよ。えっ!?とまさにきょとんとする他なかった。
すると妹さんが私の手を握り、「終わるってこういうことなんですね」と待ちかねていたように話される。長い看病のあとで気丈夫にもにこにこと話しかける妹さん。
すぐにはどう返事していいか分からず、ただうんうんと受け止めるだけでお別れをし、参列者で始めてお会いする方が車で大阪駅まで乗せてくださって、そこでもみどりさんたちと何だか仲良くお喋りが弾んだ。


大阪駅で一人になって、、私はまだ佐々木さんの死を泣いてないじゃないか、なんでこんなままでいるのかと、あの遺影を見た時から、きょとんとした状態が続いていることを持て余してしまって。
すぐに新快速に乗る気にはなれなかったくらいだった。



そして帰宅したらこのニュースをあっちゃんが伝えていた。




水俣市の産廃処分場計画
  事業者が撤退意向


 水俣市の山林に産業廃棄物最終処分場の建設を計画しているIWD東亜熊本(小林景子社長、同市)が、同市に対し事業撤退の意向を伝えていたことが二十日、分かった。同社が2004年
に計画を表明後、水俣病を経験した同市で大きなうねりをつくった反対運動が、計画的に追い込んだ形だ。
 市や市議会関係者の話を総合すると、同社の親会社の役員が四月下旬に水俣市を訪れ、宮本克彬市長に「事業撤退の方針を固めた。水俣にこれ以上迷惑を掛けたくない」と伝えた。関係者が六月二十日までにあらためて同社に撤退の意思を確認したという。
 処分場計画は、同市長崎、湯出にまたがる役八十三・四ヘクタール。このうち約八ヘクタールに汚泥、がれき類などを埋め立てる管理型の最終処分場の建設を予定していた。
 しかし、予定地が水がめに位置しており地下水汚染の不安が表面化した。水俣病を経験した市民らが「海の水俣病に加え、山の水俣病をもたらすのか」と反発。市内五十六団体が「産廃阻止!水俣市民会議」(会長・宮本市長)を設立し、市を挙げた反対運動を展開してきた。
 同社が進出した環境影響評価(アセスメント)準備書に対し、潮谷義子前知事も今年三月の意見書で、地下水や地質、希少猛きん類などに与える影響など四十三項目について「調査が不十分だ」と指摘していた。 (渡辺哲也)

    2008年6月21日 熊本日日新聞






大規模産廃施設建設を阻止するために、立ち木トラスト運動が始まったばかりで、先日私も申し込みをし、友人たちにも声をかけたところ。まさかこんなに早く撤退してくれるとは。
大勝利を喜ぶより先に、えっ?!とこの日最後のきょとん。(笑)
暫く耐えることが長かったので、一気に喜ぶモードに切り替えられないのだろうか<近頃の自分。(笑)


あとでやっとわかったのだけど、
死を迎えた友人が高らかに笑っていることは何もきょとんとびっくりすることではないし、笑ってお返しできる突き抜けた心の部分を磨かねば。修行が足らんのだ<私。




その後、あっちゃんは土本典昭監督の訃報とありがたいことに、追悼映画祭を知らせてくれ、
「不知火の海」、「水俣一揆」を見てきました。

絶妙な時期に組まれた上映スケジュールだったのですね。
その日は偶然、藤原さんという土本さんの傍にいた監督の舞台挨拶のある日だったのですが、「本来なら土本が挨拶するはずが、追悼上映となりました。土本が最後の手直しを終えてのまさに遺作としての上映です。土本の最後は穏やかに悟りを開いて旅立ったようだった。だから悲しまないでくださいと奥さんも伝えておられます。」と。
会場から「驚きました、ご冥福を祈ります」と発言もあったり、藤原さんの舞台挨拶に映画館が拍手に包まれました。
そして藤原さんが「水俣一揆」の上映前に、「土本さんと絶縁していた官僚のお父さんがこの映画を見て、チッソの社長はいい人だと感想を云った。土本はそれを知り、大喜びをした。それは単に対立する様を撮って映画にしたかったのではないからだ」というエピソードを紹介してくれていたのがよかった。
確かにあの社長の心の揺れる様は悪人ではない。



映画の中の水俣の海の青いこと、青いこと。

私は一度あの青い海を見てるんだということを、暫くぶりに思い出しました。
昭和49年秋、初めての一人旅で寝台列車にのって九州に向かい、最初に下車したのが水俣でした。
通り過ぎないで降り立ってみようと思ったのは、やはり当時、水俣が発信するものの大きさだったのでしょう。
ちょうど駅前でユージンスミスの写真展のお知らせが貼ってあるのが目について、それも今思えばラッキーなこと!
学校の体育館で写真展を見て、そのあとぶらりと海側へ。
夏ミカン畑の斜面で海を眺めていたら、
軽トラの人が声をかけてくれて、駅まで送ってくれたのでした。
「東京から来た学生さん?」と聞かれたよ。
映画を見ていて、あの時駅まで送ってくれた人は、川本さんみたいだった気がしてきました。
川本さんのドキュメント見てみたいなぁ。
土本監督の水俣の記録映画は宝です。



# 水俣で途中下車したあと出水市長島の友人宅に泊めてもらい、次は指宿開聞岳に登り、、次は屋久島で一泊、次は霧島、そのあと高千穂峡。
ざ~っと走り抜ける旅は若さだったね。
ユースホステルは今でもあるのかな?
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comment

久しぶりです。見事なカサブランカですね!この暑さに負けない立派な強い花。
夢ーみんママさんも畑で仕事されるときは、しっかり暑さ対策してくださいね。
fuukoさん、
カサブランカは最後の蕾をふくらませてまだ咲いています。そういえばそろそろ35日、49日ですね。
追悼のカサブランカかも、、と思いました。川本輝夫さんにもきっと届いたと思いま
す。 夏が食えば思い出す、
きっと今年はそんな夏。。
26日は東京で土本さんを偲ぶ会、31日は水俣でお別れの会、みんなの気持ちが集まっていますよ。

秋にはどの映画を上映しようかな?
夏が食えばは来ればにしてね! ついでにトラストのほうの会はますます元気に、お楽しみの会へと変貌しつつありますよ。お便り届くの待っててね~。。
あっちゃん、
パスワードがないと文字いじれないから、このままにしとくね。消して貼り付け直すのは変だし、もったいないしね。

佐々木さんは激甚災害法を成立の時、「小田実が何人いてもできなかった。無名の人たちの力でできたのだ」と云ってたそうです。
川本輝男さんと仲良くしてますね。
水俣から受けた思いを大事にして、持ち続けている人はたくさんいるって事だと改めて思います。

「賑わい塾」がこの時期、水俣を選んだことは本当に運のいいことでした。
今からとても楽しみです。
その時には、高倉ケンさんが編集された川本輝夫さんの本を見せてくださいね。

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